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2003年1月20日 (月)

第三十七試合:太陽と月

<前置き>
これは発行部数9000部を誇る夕刊プロレスというメールマガジンに「KING OF SPORTS」というタイトルで不定期連載しているコラムです。ここにアップするように多少の手直しが入る可能性もありますが。
</前置き>

長嶋は太陽で、王は月。どっかで聞いた例えだ。月は野村だっけかな?まぁ、アンチ読売の私としては、違う例えをしたいのだがそうもいかない。陽気で、天才肌の長嶋と、真面目で努力家の王、ということだ。怖い川上監督の下で、この二人はまるで対照的に育ったわけだ。

これとほぼ同じことが、馬場と猪木に言える。陽性で、ありあまる素質、入団直後からエース候補の馬場は太陽、体も小さく、知名度もなく、ブラジルからつれてこられた猪木は月。力道山の下で、これまた対照的な育て方をされた。

独立した後も、全日は陽=太陽、新日は陰=月というイメージが付きまとった。全日は王道=正統的なプロレス=旧来の権威(NWAの重視)、新日は今風に言えば邪道で、数々のスキャンダル、陰謀、革命、権威の破壊、こういうものでドラマを造ってきた。

蝶野は、「一人の神」と猪木を呼んだ。本来、唯一絶対の太陽神であるべきは馬場で、それに逆らう荒ぶる神こそが猪木であったはず。しかし、馬場はすでに仏となり、猪木はプロレス界のみならず、日本格闘技界全ての唯一絶対神となった。10年前なら、プロレス界には馬場が、格闘技界でいえば大山倍達など、神に近い存在が他にもいて、猪木が絶対神になることはありえなかったし、そう祭り上げられることもなかった。しかし、今は猪木一人しかいない。プロレス界にライバルはおらず、他の格闘技にも超絶的な存在はいない。

しかし、神:猪木の本来の姿は、破壊神であり、革命家であり、荒ぶる神である。当然この神一人の統治では、世界の安定はありえない。新日時代は、新間氏だったり、他のスタッフが脇を支えた。しかし好き勝手にやったUFOは墜落した。最近では、K-1石井(元)館長や、DSE(故)森下社長という、実務家が祭り上げることによって総合、K-1、プロレスの交流が盛り上がってきた。

これからはどうなる?破壊神を支えて秩序を守ってきた実力者が、二人とも(元)と(故)になってしまった。毎年そう思うんだけど、今年も波乱の年になりそうですね。

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