第六十五試合:No1にならなくていい?
昨年末から今年の頭にかけて、煽るだけ煽ってそのまま失速したごるごです。ほんともう、プロレス見て熱くならなくて、というか、ほとんど見てなくて。一ヶ月遅れぐらいの新日やノアが勝手に録画されてたまっていき、また2ヶ月遅れぐらいでみるのがやっとで。。。そんな中。。。
ネットニュースやらなんやらを巡回してた時、偶然後藤達俊のブログ(http://ameblo.jp/mr-bd/page-1.html)にたどり着いた。ちらっと見た内容が興味深く、3か月分、、っても調子悪い時のしょこたん並の更新頻度なので相当な量があるわけですが、それを完全制覇。ヒールの人ほど、実はいい人、というのを実証するかのごとく、ファンからの質問に誠意を持って答えているのがほほえましい。私なんぞは新日時代の裏話や、他のレスラーとの思い出話に出てくるエピソードが面白かったり懐かしかったりで。
レスラーのブログ、以前は3つ4つ巡回してたはずなんですが、いつの間にかコメント欄閉鎖とかフィルタ無しに飛び込んでくる意見に腰が引けるのか、結局面白くなくなったり消滅したり。今は鬼嫁ブログ(誤)、健介ファミリー嫁バカ日記(http://kensuke.livedoor.biz/)だけしか見てない。あほなこと書いたり煽るファンがいない、ほのぼのとした微笑ましいブログだし、きっちり更新されてるし。
後藤選手のブログも、基本的にちゃんとしたファンが中心だが、時折「ガチでストリートファイトしたら誰が強い?」とか「昔はセメント風の喧嘩試合は結構あったのか?」なんて質問をする空気嫁、とつっこみたくなるやつもいるわけです。が、それをスルーしたり、ごまかさないのが凄い。
「喧嘩はやってみないとわからない」、「そういうことは選手個人個人のことで、他の選手以外の人に言うことではない。レスラーはリングに命を掛けているからそういう質問をする事事態失礼」と一喝(若干簡略化はしてますが、ほぼ同文)。かっこえぇ~!
今更プロレスに真剣勝負論を持ち込むほど熱くもなれない私ですが、この発言や、他にも「勝つためにやっている」という発言があったりする。こういうのを見るとうれしくてたまらない。やっぱり妄想してしまうわけですよ。よく聞くネタを元にすれば「無我だけはガチ」と。
総合格闘技ではないから殺し合いに近いことをするわけではない。プロレス的ガチってのがあってもいいと思うんですよね。あらかじめ勝敗が決まってなくてさぁ、選手同士とレフリーだけがわかる、「あぁ、こんだけやって駄目なら、今日は俺の負けだ」的感覚の中で試合が終わるような。。。
#今日は、ってとこがとってもプロレス的なわけ
考えてみれば今の無我に、「誰が誰に勝ってはいけない」とか「ストーリーとして今は誰が勝たねばならない」という必要性のあるカードも思いつかない。藤波や西村が負けることがあっても、特に団体も揺るがない。ゲストぐらいか?インディーの若いの、とかではなく、こないだの川田とか。
こんなことを妄想できるのも、「後藤達俊」という、今となっては稀有な存在感のレスラーの発言であるが故。全盛期の「強さ」があった(はずの)ころの新日で育ち、ヒールとして一時代を築き、バックドロップ一つで伝説を作った、「強さ」、「怖さ」を感じさせる選手だから。
たまたまこのブログを見つけ、「闘魂プロレスその2」の桃太郎さんのコラム「視聴率」を読んで、そしてここんとこ(プロレスと関係ないとこの話だけど)自分の思考の方向性が変わってきたことが一点に集約された。
「勝たなくちゃダメなんだよ」
インディーだから、TVがないから、ではなく、TVを勝ち取って、視聴率を取らなければダメだ。試合に負けたとしても試合内容で負けてはダメだ。
自分的には、「面倒だから」、「自分が傷つきたくないから」とあまり闘わずにやってきた。でも、それじゃダメなんだと。闘って、勝ち取らねば手に入らないものがこの世にはたくさんある。このままあきらめ続けてじじいになるのも嫌だ。喧嘩売って回るわけではないが、闘うべき場面ではもっと積極的に闘っていこう、と。
「No1にならなくていい」
なんてことを歌う人もいるわけだが、その詩を書いた人も、歌ってる人達も、その世界のNo1じゃん。そのために凄まじい努力と闘いに勝ち抜いてきたと思う。No1にならなければ言えないこともあるはずだ。
かといって今現在、闘うべき対象が目の前にあるわけでもないんですがね。あ、そうだよ。一つあるよ。えぇなぁ、でも無理やろなぁ、とさくっとあきらめるばかりだった女性関係(w もっと当たって砕けないとな(苦笑)。
ま、それ以外にもいろいろと興味深い後藤達俊のブログ。御一読あれ。それなりに駒もそろってきた無我、見に行きたくなりましたよ
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